日々生きている中で現実での生活が、どこかで見たことある風景の連続になっていたり、ドット絵のように見えてきたり、世界がフワフワとして「実感」というものが湧かない、僕にはそんな感情があります。
今回「春の祭典」に取り組もうと思ったのは、自分の感情について一度整理しなおそうと思ったからです。
一応の意義を言っておけば、近代以降の演劇はずっと、情景描写の形式と内容について議論してきたのだと思います。
しかし、この手法に則っていては感情の形式と内容については表現できません。(おそらく、それに取り組んできたのは音楽です)
だから僕自身の感情について考えるためにはシェイクスピアや近松門左衛門、モリエール、ブレヒト……演劇史上のテキストに取り組むよりは、クラシック音楽に取り組んだほうが、よっぽどストイックに取り組めると思ったのです。
僕はストラヴィンスキーの「春の祭典」を傑作だと思っています。
また、自分の感覚にすんなり入ってくる曲だと思っています。
音楽を聴いたときの「感情」は、いったいどのように出力されるのか。
また感情の背景にある社会的バックボーンとは何か。
そういったことに、ただひたすらにストイックに誠実に向き合って、実感というものがないこの漫然としたフワフワとした感情について考えていきたいと思います。
よこたたかお